サマセット・モーム William Somerset Maugham
サマセット・モーム(William Somerset Maughm, 1874年1月25日 – 1965年12月16日)
コスモポリタンズ
コスモポリタン誌に1924~29年に連載された小品29篇。
「アリとキリギリス」これら29篇の一つ。
arigirisu
ホームページのarigirisuという名前は、このアリとキリギリスに因んだネーミングです。コスモポリタンの中の「アリとキリギリス」という話は、高校の英語の副読本で初めて読んだと記憶していますので1975年ごろだったはずです。
因みに、副読本は今(2024年4月)も販売されていましたので、さっそく入手しました。(COSMOPOLITANS, 金星堂、1951年4月1日初版発行、2019年2月10日重版発行、880円税別)
アリとキリギリス(龍口直太郎 訳、全文)
まだほんの子供であった頃、私はラ・フォンテーヌの寓話のいくつかをおぼえさせられ、それぞれのなかにふくまれている教訓を身に沁みるように説ききかされたものだった。そうして教えられた寓話の一つに「蟻とキリギリス」というのがあった。その話というのは、不完全な世の中では、勤勉にはよいむくいがあるが、浮薄なやからは罰をうける、という有益な教訓を若いものたちの胆に銘じるようにうまくつくられているのである。(不正確ながらも、ともかく一応はだれでも知っている、と礼儀上考えなければならないことがらを、改めて語るのは気がさすが)この称賛に値すべき寓話というのは、次の通りである—-
蟻が夏のうちにせっせと働いて冬の食物をたくわえているというのに、一方キリギリスのほうは、草の葉の上で、太陽に向かって唄を歌っている。やがて冬がやってくると、蟻はなに不自由なく暮らすのだが、キリギリスの食料部屋はからっぽである。キリギリスは蟻のもとに出かけてゆき、少しでもいいから食べ物を分けてくれという。すると、蟻はこのときとばかり、あのだれでも知っている有名な返答をする。
「おまえさんは夏の間なにをしてたのさ?」
「あんたの前だけど、わたしは昼となく夜となく、歌いつづけていたんだよ」
「ウン、なるほどね。それじゃ、またひとつ踊りにでも出かけたらどうだい」
子供の私にはこの教訓がぴったり来なかった。というのも、片意地な私の性格のせいではなくて、むしろ何がよいか悪いかの区別もつかない子供時代にありがちな矛盾によるものだと思う。私は怠け者のキリギリスのほうに同情してしまい、しばらくの間は、蟻を見ると、どうしても足で踏みつけずにはいられなかった。このように手っ取り早い方法で(それに大きくなって、それがいかにも人間味のある方法だとも思ったのだが)、私は思慮分別とか常識とかいったことに賛成できないという気持ちをあらわしたかったのである。
先日、ある料亭で、ジョージ・ライゼイが一人ぼっちで昼食を取っているのを見かけたとき、私はこの寓話を思い出さずにはいられなかった。彼ほど深い陰うつなかげをやどしている人間を見たことがない。じっと宙をみつめていたのである。まるでこの世の重荷を自分一人ですっかり背負っているという感じだった。私は彼が気のどくでならなかった。またあの運の悪い弟が面倒でもおこしたのではないか、すぐにそう思った。私はジョージの許に近づいて握手の手をさし出した。
「やあ、こんにちは。いかがですか?」
「どうも、あんまり気が晴ればれしないんだよ」
「またトムさんがどうかしなのかね?」
彼はふっとためいきをついた。
「ウン、またあいつのことでね」
「おっぽり出したらいいじゃないか。あんたはこれまで、あの人のためにできるだけのことをしてきたんだからね。あの男にはまったく見込みがないってことぐらい、もういいかげんわかってもいい頃じゃないかな」
どんな家庭にも一人くらいは厄介者がいるものだ。トムは二十年間というもの、その家族の者にとって、大変な苦労のたねだった。もっとも最初は、けっこう人並みの出発をしたのだったが。実業界にはいり、結婚をし、二人の子供の父親となった。ラムゼイ家というのは、申し分のない立派な家だったので、トム・ラムゼイが将来有用な、立派な人物になるだろうと世間で思うのは当然なことだった。ところがある日のこと、出しぬけに、そのトムが、仕事がいやになったし、自分は結婚生活には向かない男だといいだした。自分自身の生活を楽しみたいというのである。彼はどんな諌めのことばにも耳をかたむけようとしなかった。
彼は妻を捨て、会社を飛び出した。少しばかりのカネがあったので、彼は二年ほどヨーロッパのあちこちの首都で楽しい日をすごした。折りにふれて彼の行状についての噂が親戚縁者の耳にはいり、みんな大きなショックをうけた。彼はたしかにたいへん愉快な時をすごしたのだった。しかし、親戚縁者たちは首をかしげ、カネを使いはたしたときにはいったいどうなることだろうと話しあった。
やがて、それがはっきりした。トムは借金をしたのである。彼には魅力がある、遠慮のない男だった。彼ほど借金の断りがいいにくい人間に私は出会ったことがない。彼は友達からたえずカネを借りてきたが、そういう友達が、すぐにあとからあとからできたのである。ところが、生活の必要のために使うカネなんか面白味がない、といつも彼はいうのだった。使って楽しいのは、ぜいたくなものにたいして使うカネだ、というのだ。だがこのために、彼は兄のジョージに頼らなければならなかった。だが自分の兄にたいしては、身にそなわった魅力を発揮するようなムダな真似はしなかった。ジョージは真面目な男で、そうした誘惑には無感覚だったのである。ジョージは謹厳な人間だった。一度か二度は、トムが生活態度を改めるという約束にひっかかり、再出発をするためならばと、かなりな金額をあたえたことがある。ところが、そのカネでトムは自動車や宝石を買ってしまった。弟がとうてい身を落ちつけるようすがないということを周囲の事情からはっきりと悟って、兄はトムときっぱり手を切った。するとトムは、臆面もなく、その兄からカネをゆすりはじめた。
ひとかどの法律家となっているジョージにとっては、自分の弟が行きつけの料理屋のカウンターの後ろでカクテルのシェーカーを振ったり、自分のクラブの外でタクシーの運転台に坐って客を待ってたりするのを見るのは、あんまりいい気持ちのものではなかった。トムは、バーで働くことも、タクシーを運転することも、ちっとも世間態を憚るような仕事ではないが、もしジョージが二百ポンドのカネを出してくれるというのなら、わが家の名誉のために、そんな仕事は放り出してもかまわないというのだ。それでジョージは二百ポンドのカネを出した。
あるときなど、トムはもう一歩で刑務所に行くところだった。ジョージはすっかりあわてた。彼はこの不面目な事件をすっかり調べてみた。トムの奴はまったくひどいことをしたものだ。これまで彼は無鉄砲で、思慮分別がなく、身勝手なことばかりしてきたのであるが、決して不正直なまねはしなかった。ジョージにいわせれば、法律にひっかるような悪事ははたらいたためしはなかった。しかしこんどは、もし彼が告訴されるとすれば、有罪の宣告をうけることはまちがいなかった。しかし、たった一人の弟が牢屋にぶち込まれるというのを、兄貴としては黙って見ているわけにはゆかなかった。
トムがだました相手のクロンショ―というのは、執念深い男だった。彼は事件を裁判沙汰にするといきまいた。トムは悪党だから、罰を加えるべきだというのだ。その事件を解決するために、ジョージはえらい苦労をしたばかりか、五百ポンドのカネまでもつかわされた。
トムとクロンショーは、その五百ポンドの小切手を現金にかえると、さっそく二人揃ってモンテ・カルロに出かけて行った。そのことを聞いたときほど、ジョージがかんかんになって腹を立てたのを私は見たことがない。二人は、そこで楽しい一カ月をすごしたのである。
二十年の間、トムは競馬やばくちにふけり、飛びきりきれいな女と遊びまわり、ダンスをしたり、いかにもぜいたくなレストランで食事をしたり、大いにめかしこんだりして遊びくらした。いつでも衣装箱から出てきたばかりといったスマートなかっこうをしていた。四十六歳だというのに、いつでも三十五歳以下に見られた。友達としてはとても愉快な仲間であり、まったくつまらない人間だとわかっていながらも、彼とつきあっていると、つい楽しくなるのだった。彼は意気揚々として、いつもはしゃいでいたし、信じられないほどの魅力をもっていた。だから彼が生活上の必要品を買うのだといってせびりに来ても、私は惜しまずカネを出してやった。こちらから五十ポンドのカネを貸してやったときでも、私はいつも自分の方に借りがあるような気がするのだった。トム・ラムゼイは誰でも知っていたし、また誰もがトム・ラムゼイを知っていた。彼のやり方には感心はできなくても、人間としての彼は好きにならずにはいられないのだった。
かわいそうにジョージは、このやくざな弟とたった一つしかちがわないというのに、もう六十ぐらいに見えた。彼は二十五年の間というもの、一年に二週間以上の休暇をとったためしがなかった。彼は正直で、勤勉で、立派な人間だった。いい奥さんを持っていて、しかもその奥さんにたいして浮気をするなどということは考えてもみなかったし、四人の娘たちには、それこそ申し分のない父親であった。彼は収入の三分の一は必ず貯金するようにし、五十五歳になったら、小ぢんまりとした家を手に入れて田舎に隠退し、庭の手入れをしたり、ゴルフを楽しんだりしようという計画をたてていた。彼の生涯は、一点の非の打ちどころもないものだった。ジョージは早く年をとりたいと思った。トムも同じように年をとるからである。
彼はもみ手をしながら、こういった—-
「トムだって、若くて男前のいい間は、なんにもいうことはなかったろうさ。しかし、わたしよりたった一つしか年下じゃないんだ。あと四年もたてば、奴さんだって五十になる。そうなれば、今までのようにそうやすやすと事が運ばんことがわかるだろう。わたしのほうは、五十になるまでには三万ポンドのカネがたまっているだろう。この二十五年間というもの、トムもさいごには乞食になるほかあるまい。そうわたしはいってきたんだ。そうなったら、奴さんもどんな気持ちがするか見てみよう。働くことを怠けることと、どっちがほんとうに得なのか、ひとつ見てみようじゃないか」
かわいそうなジョージよ!私は彼に同情した。今こうしてジョージのそばに坐りながら、あのトムの奴がいったいどんな恥さらしのことをしたのだろうか、と考えていたのだ。
ジョージはすっかり平静を失っているらしかった。
「こんどはどんなことが起こったと思うかね?」と彼は私にたずねた。
私はもちろん最悪の場合を想像していた。トムの奴もとうとう警察の手にかかったのではないか、と思ったりした。ジョージは容易に話し出す気になれないようすだった。
「あなたは、わたしが働き者で、身分相応なくらしをし、世間にはずかしくないようなまっとうな生き方をしてきたことをみとめてくれるだろうね。まじめに働き、倹約してきたわたしは、老後には金ぶちの一流証券からはいるささやかな収入を目あてに隠退できることを楽しみにしている。わたしはいつも神様の思召にかなった自分の身分において、わたしに課せられた義務をずっと果たしてきたんだ」
「その通りだよ」
「それから、トムの奴がもう怠け者で、どうにも取り柄がなくて、面目ないごろつきだったことも、あなたは否定なさらんだろうね。もし因果応報とでもいうものがあるとすれば、奴さんはどうしても養老院行きということになるはずさ」
「ごもっとも」
ジョージはだんだん顔を赤くしながら、ことばをつづけた。
「数週間ほどまえ、奴さんは自分の母親ぐらいの年かっこうの女と結婚したんだよ。ところが、こんどその女が死んで、持っていた財産がそっくり奴の手にころがりこんだってわけなのさ。五十万ポンドの大金、一艘のヨット、ロンドンの屋敷、それに田舎の別荘など・・・」
ジョージ・ラムゼイは握り拳でテーブルをたたいた。
「これは不公平だ、まったくこんな不公平な話なんてあるもんかね。畜生!とんでもない不公平だ!」
私はもうどうしようもなくなった。ジョージのまっ赤に怒った顔を見ていると、思わず大声で吹きだしてしまった。椅子の中で体をくねらせ、危く床に落ちそうになった。ジョージはこういう私の無礼をいつまでも赦してくれなかった。
ところがトムのほうは、メイフェアの感じのいい家のすばらしい晩餐にたびたび私を招いてくれるのだ。彼がもし私から僅かなカネを借りるとすれば、それはたんに今までの習慣がぬけないからにすぎない。金額も一ポンドを超えることが決してないのである。(終)